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yuuの一人芝居

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創作秘話 「良寛乾いて候可」



創作秘話 「異聞良寛乾いて候可」2016/8/02

 私は良寛を知らなかった。良寛についての噂は沢山耳に入りこんで来ていた。其の良寛を書こうとしたのは、其の噂に対しての反発としてであった。聖僧、としての良寛、筆の達者な良寛、歌人としての良寛、酷いのは童貞であったという良寛、それらに反旗を翻してみたくなったことが其の動機であった。
 私は良寛を人間としてみたかった。彼も言う、『僧にあらず俗にあらず』その言葉の意味するものは何か。出雲崎の傾いていきつつある庄屋の子として生まれ、罪人の斬首に立ち会い昏倒する気の弱い彼が何もかも捨てて放蕩三昧の後に光照寺の雑役をし、國仙和尚に拾われて得度、良寛として玉島は円通寺での修行、其の後全国を放浪し、生まれ故郷の五合庵、乙子神社の草庵にこもり、島崎は木村宅にて示寂する、其の一生は良寛に取って何を意味したのか。
 彼は、道元の「正法眼蔵」を納め、「只管多坐」の精神である「一日作さざれば一日喰わず」も心に納めていたはずである。
 私はそんな良寛がなぜ、曹洞宗の和尚にならず全国を徘徊し何を会得し様としていたのか、その事に思いをはせた。良寛は仏教には何も求めなくなっていた。歌に書に、自分の赴くままにしたい事をする生き方、自分流に作りこなしていく。それは自然と一体を目指しているようにも見えた。絶望した良寛に取っては悟りを開く、其の願いは薄れて行き、民衆にとっての教えは何かと言うことに重点が置かれていった。朝夕の勤行は何を意味するのかに思い悩んだことだろう。人が生きることそれは定めに沿っているという考えではなく、西行が言う其の定めを自分が流れると言う事に思いついたと言えよう。また、西行の「歌を作ると言う事は仏を作ること」と言う言葉に共感をしたはずである。
 彼は自然に生きよう、國たみの悲しみや辛さや苦しみを総て自分が請け負う事でいいのだと言う考えに達したのではないか。子供のように無邪気に遊び赴くままに生きる、其の姿から、人とは欲心を持って生きることの傲慢さともののあわれを見せたかったという事だと気づいたのではないのか。
 ただの人になりたい、自然でいたい、其の偉大な考えが良寛にはあったと、そこにたどり着くまでは艱難辛苦を繰り返した筈である。円通寺の修行から其の仏の教えを懐疑的に捉えていたのではないのか。そして彼の生き方は晩年になるに従い、風になり雲になり雨になりと自然と道連れになりひとの生き方を指し示したのではないのか。難しい事は何もない、人間は自然に生きることが一番大切なことだとひとの前に己の姿をさらしていく。
 そんな良寛の前に四十歳も年の離れた貞心尼が現われ、そこで良寛はより自分の生き方に対して確信を持つことになる。
 二人の交わした歌はまるで幼い恋の歌が並んでいる。良寛はここで人間の動物としての本能を感じることになる。
 この晩年の良寛はただの男となりただの女に恋をする。
 これも自然なのだと言う事を感じたはずである。
 私は良寛を書く時に彼は何もかも捨てたことでより強く生きられた、自然体な生き方が出来たと思った。
一人の人間としての良寛を書きたかった、今の世に彼の様な精神を持って生きることは難しいことかも知れないが、欲心なく、感謝する心と、感動する自然な生き方を学ぶことが出来た事を付け加えたい…。
注 良寛さんの熱心な研究家の人達があらゆる方向から彼を解きほぐしている、それを読み、また、参考にして今の私の考えが生まれた事をここに添えたい。
 良寛は今の世の宗教のゆく末を感じていた、江戸の末期、仏教は人々に生きることは何かを指し示すことをせずに豪奢になり民衆を見下していたことを知っていた。それは今の世の人々の心に宗教哲学を感じ取らせることのないものになり下がり、ただの商売の道具と化していること、それを良寛は予知していたと言えまいか…。


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